【だから人と】コミュ障が陥りがちな心理②【つながれない】

前回の①ではコミュ障の人が会話中に陥りがちな心理について詳しく掘り下げてみました。

今回はどのようなところに気をつけたらコミュ障を改善していけるかということについて私なりに詳しくお話させていただきます。

だから自分がコミュ障という自覚がある方はぜひぜひ読んでみてくださいネン(*´Д`)

では、具体的にコミュ障のひとがどんなところに気をつければコミュ障ぶりが改善していくかというとそれはある意味簡単なことなんです。

“この場でなにを言ったらいいか”を過剰に気にするのをやめて会話をピンポンのようにリズムを相手に合わせて楽しむものという感覚で臨む

ことなんです。

このことについて詳しくお話しすると

前回の①でもお話ししましたが相手によく思われたい・嫌われたくない・相手にもっと自分のことを気にしてほしい等“自分の言葉によって相手にどんな印象を与えられるか”を過剰に気にしている状態とは

自分が相手に対してどう思われているかを過剰に気にしている状態であり

=他人軸になっている状態なのです。

“他人軸になっている”ということは“自分は好かれているか、嫌われてはいないだろうか”と相手の目線に右往左往している状態なのです。

それは相手に対して媚びることでもあり、自ら自分の価値をすり減らすことにつながるのです。

だからそれをやめればいい

ということなんです。

相手に合わせた言葉探しをすることをやめ、その時の素直な感情なり気持ちをストレートに表現すればいいんです!

(とはいえ、なんでも素直に言えばいいということではなく相手やその場に対する配慮は必要です(;^ω^)相手への悪口や愚痴、その場にいない人をこきおろすようなことを言うことは自分の人間性を疑われるだけです)

補足させてもらうとポジティブな感情なり気持ちなり相手への印象をストレートに言葉で表現するのはいいけどネガティブなことを言うのはよくないよ!ということですね。

そして初対面の相手などある程度距離間があったり関係性が出来ていない相手との会話では

“会話とは相手になにを言うか、伝えるか”というものではなく相手のテンションを把握しながら発する言葉のリズムを合わせて楽しむ・同調させていくもの

という認識で臨むと変に気を和ずにリラックスして会話を楽しむことが出来ると思います。

会話のリズムを合わせていくことがこの人とはノリが合うなあという感覚につながっていくのです。そしてそのことが

この人とはウマが合うなあという感触を生み出す=心理学用語で言うところのラポールが形成される

ということなんです。

お互いの“この人とはウマが合う”という感触で繋がりあっているから自然に会話が盛り上がっていって自己開示が進んでいき仲が深まっていく。

まず相手と会話の温度感、リズム感等いわゆる“ノリ”の部分で同調させていって

お互いノリが合うなあという感触をお互いの中に生み出しまずはそこからつながっていきましょう!ということなんです(*‘∀‘)

別の側面からお話すると

前回の①ではコミュ障の人って出会ってまもない段階から相手に響くような“なにかいいこと”を言ってそれを相手に気に入ってもらって仲良くなろう・受け入れてもらおうって思考にいきがちだということについてお話しましたが、

そういうコミュ障な人の思考ってその本人の中ではまっとうなことのように思えるんだけどその心理の中にはまだ関係性が構築出来ていない相手に

“相手の心に響く言葉”という一撃必殺技で手早く関係性を構築したいというものぐさ精神が潜んでいたりするんです(; ・`д・´)

コミュ力が高い人ほどコミュニケーションにおいて初対面の相手や関係性の出来ていない相手と労力をかけずに仲良くなれるものではないということをわかっているものなんです。

だからこそコミュ力高い人ほど楽をせず口八丁手八丁で労力を惜しまず相手と関係性を構築することに熱量をかけていくものなんです。

さらにコミュ力が高い人の特徴として

コミュ力が低い人が初対面の人と会う時に相手に受け入れられるかどうかを気にして緊張したり委縮していくのと対照的に

コミュ力が高い人ほど初対面の人と会う時、相手に対してどんな印象を与えることが出来るだろう、相手のどんな面を引き出すことが出来るだろうとワクワクする傾向にあります。

ドラゴンボールの悟空が自分より強敵と戦える時に恐怖心よりも好奇心が勝つような感じですね「そんな強ええヤツと戦えるなんてオラわくわくすっぞ!」って感じで(‘ω’)

またコミュ障な人視点でその心理について詳しくお話しすると

自分がコミュ障だという自覚がある人ほどいわゆる陽キャ的なテンション高くてぱっと聞き意味の無い会話を楽しんでる人達を忌み嫌う傾向にあります。

しかしその心の裏にあるのはそんなふうに自分も快活な会話を楽しんでみたいという気持ちや物怖じせず自分が言いたいことを言えるようになりたいという陽キャをうらやむ気持ちが潜んでいたりするものなんです(;^ω^)

心理学的に言うと自分のシャドウを相手に投げているということなんです。

シャドウ=自分で認めたくない自分の一面であり、自分の認めたくない一面を持っている相手を否定したり嫌うことで自分の中のその一面と向き合わなくて済むということなんです。

自分に対して直接的に迷惑や危害を加えられていないのに誰かを否定したくなったり嫌な感情が出てくる時って自分が出来ないことを平然とやってのける相手のことをうらやんでる気持ちが潜んでいたりするのです。

相手をワルモノに仕立てあげててしまえば自分の中のやましい気持ちと向き合わずに済みますからね。

なのでコミュ障だという自覚があって自分と関係性の無い陽キャを見てイライラしたりムカムカするようだったら、“なぜ自分はそんな気持ちになるのか?”自分の気持ちを一度ノートとペンを使って掘り下げてみることをオススメします(*‘∀‘)

そうやって自分を構造的に理解していくことで自分の中で分別がつき日常の中で過剰にイラついたりムカついたりすることが減っていくものです。

ここで話を本筋に戻します。

自分がコミュ障だということをを自覚してる人がこの記事を読んでなんとかしようと先ほど私がお話した

“この場でなにを言うべきなんだろうと思考することをやめて会話をピンポンのようにリズム・ノリで楽しもうとする”ことを実行しようとしてもまず最初からうまく行きません。

失敗します

失敗して傷つきます

恥もかきます

自転車の乗り方しかり頭の中でこうするものという理解があっても経験という具体的なプロセスを積み重ねることなく最初から上手くやってみせられるものではないのです。

失敗は成功の素という言葉がありますがまさにこの言葉のとおりなのです。

相手と良い関係性を作りたい、相手と深く関わりたいという気持ちからコミュニケーションにおいて勇気を出してそれまでの自分のふるまいから一歩踏み出してみる。

自分のやりなれていないことをやるわけだから、どもったり、詰まったり汗を掻いたりもすると思います。

しかしそこにはしんどい思いをしてでも自分を変えていくという前向きな意思があるのです。

自分なりに勇気を出してがんばってみたが結果自分の思うようにうまくいかなかった。

このがんばってみたが結果うまくいかなかったということが大事なのです。

うまくいかなかったという結果は自分の無力感、劣等感を感じることにつながり自分を傷つけます。

しかしこの傷を乗り越えた時自分がなぜうまくできなかったかを振り返り自分を修正できることにつながるのです。

ちなみに自分を変えようとがんばった熱量が高いほど、チャレンジが失敗に終わっても、

その失敗を自分の中で受け入れられた時に

冷静に自分を見つめ直し自分を修正する力が比例して高くなるという法則があります。

ようはそれだけ本気を出したってことですからね(*‘∀‘)

本気を出してがんばったがうまくいかなかった……そして失敗した自分を受け入れどこが至らなかったか内省し、また立ち上がりチャレンジする。

なんでもこの繰り返しなんです。ノウハウを分かったところで一気にうまく行く人はなかなかいません。

ここまで書いておいてなんですが個人的な意見としては自分がコミュ障だという人がいても本人がそのままの自分でいて生きずらさを感じていなかったりするならそのままでよいと思います。

とはいえもし自分がコミュ障だという自覚があって

そのままの自分に対してイエス!高須クリニック!( ゚Д゚)

と思えないのなら

恥を掻いてでもコミュニケーションの場数を踏むなりして泥臭いくらい自分を好きになる努力をしたほうがいいんじゃないかなと思います。

少なくともワタクシ美片はコレ!と決めたことには泥臭く何度もチャレンジするタイプです。

チャレンジすることは今までの自分の人生の範疇から意識的に踏み出す行為でありそこには必ず傷つくことに対する恐怖心が絡むものですが

私は恥かいてでも泥臭く汗臭くチャレンジし続ける生き方のほうが必ず人生は輝くと信じています(*‘∀‘)

かのDragonAshの降谷健志さんも名曲「LetYourselfgo、letmyselfgo」の中でこう歌ってますからね(*‘∀‘)

かすかでも確実に前進

大切なのは前に出る姿勢

恐れから来る一歩の遅れ

それがもたらす致命的なlos

悩む前に体で反応

勇気あるものが持ちうる本能

最近久しぶりにYOUTUBEでこの曲を聞いてハマっているんです。

てな感じで最後は青い感じで締めてみました。よろしければまたお付き合いくださいね(*‘∀‘)