なぜ自分軸で生きられないのか掘り下げてみたよの巻き

前回の「他人が余計な口出しをしたくなる心理を考察してみたよの巻き」

の最後でどーでもいいヤツからどーでもいいことをあーだこーだ言われた時に毅然とした態度で

シャーラップ!ファックノットマイウェイだメ~~ン!( `ー´)ノ

という対応が出来るかどうかについては「自分軸」が確立出来ているかどうかにかかっていることについてお話しさせていただきました。

今回はこの自分軸について、そもそも自分軸とはなんぞや?またどうしたら自分軸を確立できるのか?ということについて私なりに掘り下げてお話しさせていただきます。

心理学のサイトなんかを読んでると、生きずらさから抜け出すための処方箋として

自分軸で生きる

という言葉がよく出てくると思います。

心理学系サイトの中でよくある相談例として示してみると…

相談 夫に浮気されました!それ以来、夫のことが信じられません。これから再構築するために頑張るべきかこんな辛い思いをしながら結婚生活を続けるくらいならいっそ別れたほうがいいのかもという気持も出てきて困っています。どうか助けてください。    相談者 十三階段 月子

回答 奥さんこんな時こそ自分軸です!旦那さんがどうこうより貴方が今後どう生きていきたいかです。自分の感情を大事にして生きていきましょう!回答者 アレクサンドリア・ミート三世

こんな感じで、なにか問題が起こって人生の選択の決断を迫られているシチュエーションの時に

まずは自分がどう生きていきたいかです。ちゃんと自分の心の声を聞いてあげて直感に従って生きていきましょう!自分軸で生きていきましょうね!

みたいな相談/回答って心理学系のブログ内でよく見かけますよね。

こういった感じの自分軸という言葉を盛り込んだ心理カウンセラーのアドバイス記事を読んでも、 心理学を勉強しだした当時の僕にはこの「自分軸」という言葉がフに落ちなかった。

自分軸に関する心理学系のブログ記事を読み、読んだ直後は

「よし!これからは自分軸で生きていけばいいのか!おけ!よっしゃ自分軸ね(‘Д’)」

って感じになるのだがそんなことはだいたい3分経てば忘れてしまう。

そして生活の中で、今ここで自分軸を発揮してなんぼ!という場面で全然自分軸を発揮出来ず、自分がどうしたいかより他人の意見を受け入れてしまっている自分に気付いてしまいあちゃ~~ってなってしまう。

自分軸という言葉を知った当時の僕は理解が浅かったこともあると思いますがこんなことの繰り返しでした。

なので今回は自分軸で生きていこう!と頭で思ってもなぜ、実際の生活では自分軸を発揮できない―つまり他人軸な生き方になってしまうのかということについて私なりに掘り下げてお話しします。

このことについてそもそもまず、なぜ他人軸になってしまうのか?というところからお話させていただきます。

なぜ他人軸になってしまうかの要因としては、まず一つ目として

幼少期の親との関係性が他人軸になってしまいやすい原因の一因となっている

ということが挙げられます。

なぜなら親は生まれて初めて接した他者であり、親との関係性は今後の全ての人間関係を築いていくうえでの礎となるものだからです。

他人軸についなりがちな人の幼少期の親との関係性を紐解いていくと

自分の親が過干渉だったり情緒不安定又は親が不機嫌でいることが多かったりすると親に子供である自分の感情を受け止めてもらったり理解してもらえる機会が少なくなります。

なぜなら幼い子供にとって親に自分の感情を理解してもらったり受け止めてもらいたいと思うのは自然な欲求ですが、子供である自分より親のほうが不機嫌だったり情緒不安定だったりすると自分の感情を親に受け止めてもらうことより「いつも大変そうなお母さんの気持ちを受け止めてあげないと」という気持ちや「いつも辛そうなお母さんのことをこれ以上私が困らせてはいけない」という気持ちの方が先走ってしまうからです。

こういった親との関係性から

家族間の平穏を保つために、自分の感情を素直に表現することより自分の感情や欲求を引っ込めることにばかり気を使い続けていると

自分でも自覚のないうちに自分の感情にフタをすることが当たり前になっていくんです。

このことにより

いつのまにか自分が人にどうされると嬉しいか、なにをしている自分が好きか、なにを楽しんでいる時に時間を忘れられる、人からどんな扱いを受けた時に悲しいと感じるか―ということが心の奥底でわからなくなっていってしまうんです。

なぜなら自分の心の中を親に乗っ取られすぎて自分の心の奥底からなにが湧きあがってくるかわからない状態だからです。

ちなみに「自分探し」を人がしたくなる動機はその人が自身の心の奥底から湧きあがる欲求や感情がわからなくなってしまっていることに由来します。自分の感情の奥底にフタをしているから自分の内側から湧きあがる強い衝動・欲望がどんなものかわからない。

自分の内側に自分が見つからないから本当の自分は“ここではないどこか”にいるものと見立てて探そうとするんです。

ちなみに僕も昔はこんな状態でした(;’∀’)なのでやりがいを感じられない市役所の仕事をこなしていく抑圧的な毎日を送りながら自分を“ここではないどこか”に連れだってくれるような相手を見つけるべくナンパに勤しんでいました。

ちなみに上記のように自分で自分がわからない状態になっていても、いちおうそれなりに自分はなにが好きとかなにをしている時が楽しいとかはあるんです。

ただ、自分でもわからないうちに自分の中に親や世間の価値観が入り込みすぎてしまっているのでそこから外れるものに関しては自然と視界に入らなかったり、興味を持っても実際にそれを手に取ることを無意識のうちに否定してしまいがちなんです。

なのでこの状態になっている人の空いた時間の過ごし方って心から自分が打ち込めるものを探すべく好奇心を頼りに冒険に繰り出す方向には行かず手短で簡易にヒマ潰しが出来るようなものに落ち着く傾向になりがちです。

例えばスマホゲーや漫画やアニメにダラダラと興じ続けるような感じです。誤解ないように言うとスマホゲーやアニメ・漫画にハマるのがよくないのではありません。それらのことにハマるのではなくダラダラと興じることがよくないのです。

ちなみにある程度モテて言い寄られる人だとオタ趣味でなくだらだらと奔放な恋愛に余りあるヒマつぶしの手段として乗り出しがちですね。

自分が本当にそれをしている時楽しめるもの・心の底からハマれるものがわからないまま年を取っていくと 主体性のある生き方が出来なくなってしまうんです。

なぜなら自分の本当に好きなものやハマれることがわかっていないということは自分の生きがいがなんなのかわかっていないということです

自分で自分の生きがいがわかっていなかったらそこからさらに発展させて

自分はこれからどう生きていきたいか―自分はどういう人を大事にしていきたいか、どういったことに自分の時間を費やしていきたいか、今後の人生においてなにを成し遂げていきたいかということをことある事に自分に問いかけるような生き方―

つまり主体性のある生き方を心掛ける精神にたどり着けないからです。

逆に言うと主体的に生きる―ということは自分でなにがしたい、どうしたいかを考え、自分で取捨選択と決断を繰り返して生きていくということになります。

なので

主体的に生きて行くのが困難なココロの状態=他人軸になりやすいココロの状態

ということになります。

次になぜ他人軸になってしまうかの要因の二つ目としては私達が育った日本社会特有の村社会的な空気感が挙げられます。

日本は単一民族で国民の大半が構成されてる国です。髪の色、肌の色、瞳の色も同じ、喋る言語もみなだいたい同じ。

日本の公立小・中学校の教育を見ればわかるとおり個性の尊重より足並み揃えること・右向け右に倣うことが大事とされるような教育文化です。

人より目に見えて劣っていれば落ちこぼれのように見られるし人より抜きん出れば後ろ指さされる。

親も先生も周りとはみ出さずみんなとほどほどに仲良くし平均よりやや出来るコといった感じの理想像を押し付けてくる。

趣味や興味を持つことがらに関しても学校で教わる範囲の学問や大衆に支持されるスポーツ等のマジョリティに属する分野にハマるのは良しとされるけど、マニアックな学問、プロ化されていないスポーツ等にハマることは「そんなことは将来の役に立たない」と周りからなかなか理解を得られない。

ひと昔前までは人種的にマイノリティであったアニメオタクでさえも今期の流行りモノを消費することに敏感になりがち。そこから外れた作品にハマったり過剰なウンチクを語るとコミュニティの中で「アイツは空気が読めないヤツ」と忌避されてしまう。

そんな「仲間外れにされたくなかったら空気を読め」的な同調圧力的空気に幼い頃からマジガチに対応し続けてしまうといつの間にか“自分はどう思うか”“自分はどうしたいか”より“周りから見た自分はOKかNGか?”や“自分がこの選択をしたことで周りから変な目で見られないか”といったことを優先してしまうようになってしまいます。

このように“自分がどうしたいか” より “他人から見た自分はOKかNGか ”ということを気にしてしまう状態も先ほど述べた“主体的に生きて行くのが困難なココロの状態=他人軸になりやすいココロの状態” ということになります。

なぜなら他人から見た自分に固執すればするほど自分の頭で自分がなにがしたい、どうしたいかを考える余地がなくなってしまっているからです。

以上なぜ他人軸な生き方になってしまうかについての大きな要因2点をお話させていただきました。

以上のことから“他人軸になっている状態”とは、自分の気持ちや感情より他者の視線を優先させてしまっているあまり 自分でなにがしたいか、どうしたいかをきちんと考えられず自分の生き方の根拠を他人の考えや意見に預けてしまっている状態だということになります。

ここで他人軸になっている状態として具体的な例を挙げてみます。

・就職先を決める際、親から「安定した収入がある勤め先じゃないとこの先苦労するわよ」と言われて、自分がやりたい仕事について真剣に考えることをせずに親の意向に沿う就職先を探してしまう。

・異性との出会いの場で自然とこの人を親に紹介したら親はなんと言うだろうか考えてしまう

・職場の同期の結婚式に招待されて特に親しい間柄でもないし、気が進まないけど同期で欠席するのが自分だけだとなんとなくキマリが悪いから出席してしまう

以上のシチュエーションで共通していることは先ほどお話ししたように自分の選択・決断の根拠を他者の考えや意見にしてしまっているということです。

ここまで“なぜ他人軸になってしまうのか”ということと“他人軸になってしまっている状況”について具体例を出してお話しさせていただきました。

これまでにお話ししてきたように“他人軸になってしまっている状態”というのは言い方を変えると自分の気持ちや感情より他者の視線や考えを優先させてしまっている状態であり、

その結果自分で自分のココロの声に耳を閉ざしてしまっていることになります。

このことは自分で自分の心の声を無視する=自己否定の苦しみ

に繋がります。

ゆえに他人軸で生きるということはいつのまにか自己否定の苦しみも生み出してしまったりするんですね(;´・ω・)おーこわ

今回はこんな感じでなぜ“他人軸になってしまうのか”やその心の状況について掘り下げてお話ししてみました。次回は他人軸にならないようにするためにはどうしたらよいか?自分軸はどうやって作り上げていくものなのかということについて掘り下げてお話ししていくので是非お付き合いくださいね(*‘∀‘)