キミに教えてあげる(*’▽’)自分軸で生きるための具体的な方法の巻き

前回のなぜ自分軸で生きられないのか掘り下げてみたよの巻き

でなぜ自分軸で生きようと心で思ってもなかなかそううまくいかない理由の要因と背景についてお話しさせていただきました。

今回はそれではどうしたら自分軸で生きていけるかというとについての具体的な考えについてワタクシなりにお話しさせていただきます。

………ここに自分軸で生きていけないことに悩む一人の九州男児がいた…彼の名は博多どん太くん29歳

彼は九州男児らしく自分軸前回で生きていけない自分の実存について悩みなにかヒントはないかと心理学系サイトの記事を読み漁る

彼が読んでいる心理学系サイトの記事の中に「貴方が苦しいのは他人軸になっているからです。自分軸で生きましょう!」の文字が!

そこで

「よしゃ!これからおいどんは自分軸で生きていけばいいんでゴワスね!もっこす!もっこす( ̄д ̄)」

と頭で理解する!

でも現実ではなかなかそうもうまくいかず、

「ばってん!今日もパイセンにつられて博多ラーメンのトッピング同じオーダーにしてしもーたばい!ワシ情けなか~こんなんじゃ中津のアノ娘に顔向けできんですたい!(;´∀`)」

と相変わらず彼(博多どん太 29才)の生きずらさは緩和されない。(注 九州弁は作者のイメージに基づくテキトウなものです)

なぜか?

それは、なぜかというとつまり…

博多どん太の中に自分軸が形成されていないから!(; ・`д・´)

…………ってこの一言で済ませてもいまいちわからないですよね。これからちょっとトーンを真面目にして詳しくお話ししていきます。

まずはそもそも「自分軸」とはなにかということについてお話します。

自分軸という言葉は字ズラそのままだと「自分の軸」という意味です。では自分の軸とは具体的にどんなものを言うのか

このことについてワタクシなりの自分軸の解釈についてお話しします。

それは

自分軸=今までの人生経験に裏打ちされたそのヒト独自の人生観・人生哲学

だということです。

このことについて、有名人の方を例に出して具体的にお話しさせていただきます。

僕はダウンタウンの松本人志さんの独特の哲学感が垣間見えるアナーキーな発言が好きなのですが、松本さんの書籍の中の発言でひときわ衝撃を受けた言葉があります。

それは松本さん自身がお亡くなりになってしまい、自身のお葬式の際に関係者の方で「うわーー今日雨やん喪服出すの面倒やなー」と思うようなヤツは自分の葬式にこんでええ”といった趣の発言です。

日本人だととくに故人に対する追悼の気持ちが強くなくても、故人やその家族と繋がりがある場合、お葬式には顔を出すのがマナーとする風潮がありますよね。

僕は松本さんの上記の発言は自分に対して大した思い入れもないのに周りを見渡して「これもマナーだから」という態度で自身の葬儀に参列するようなハンパなヤツは来なくていい!とバッサリ切り倒した発言だと解釈しています。

松本さんの上記の発言は普段から常識や習慣とされているものに対して疑問を感じたら自分なりに

「みんなそれが当たり前みたいな顔して従ってるけどそれホンマに正しいんか、それがホンマに正義なんか」

という態度で哲学的に考えに考え自分なりの答えにたどり着いたからこそ出てくる発言だと僕は思います。

ここでまた他の芸能人の方を例に出してお話しさせてもらうと

ワタクシ美片はカウンセラーとしてのキャッチコピーで“アナタの闇をキラリと見通す新宿系カウンセラー”と名乗っていますが、このキャッチコピーは歌手の椎名林檎さんがデビュー当時“新宿系歌手”と名乗っていたところからパク…いや拝借しました(;’∀’)

椎名林檎さんも前出の松本人志さんに負けないくらいとんがった感性と価値観をお持ちの方だと思います。だからこそ業界の前例や習慣にとらわれることなく、批判や避難されることを覚悟のうえで独自のセンセーショナルでセクシャリティに富んだ世界観を提示し続けてきたことで今も熱烈に支持され続けています。

個人的には林檎さんがメジャーシーンでその存在を確立した後で

加爾基 精液 栗ノ花」という名前のアルバムを携えて堂々とテレビでプロモーションを行い民衆をひれ伏せさせたことが僕にとっては一番オラなんも言えねぇ度が高かったです( ゚Д゚)

テレビの前で女性シンガーを観てぽかーーんとなったのは後にも先にも椎名林檎嬢くらいです。

ここまで松本人志芸人さんと椎名林檎さんという芸人と歌手というまったく異なるジャンルで戦って道なき道を切り開いてきた2人について私なりに語らせてもらいました。

私が思うにこの2人に共通しているところは

表現者として自分が感じた感覚・感情、内から湧き出る表現欲求を大事にしている

そのうえで、自分の表現欲求――というか自身のオンリーワンな研ぎ澄まされた世界観を世の中に表出しようとするとその表出しようとするモノの中におてんとうさまのもとの社会からはみ出してしまう独特過ぎる毒を含むあまりどうしても業界の慣習や世間の常識・習慣・ルール・マナーみたいなものとぶつかってしまう。

だがしかしそこで安易に業界を取り仕切るオトナに迎合したり丸め込まれることを選ばずに自身が非難・批判されることを覚悟してあえて引き受けたうえで

「オレが描いた最高の景色をオマエラに見せてやんよ!( `ー´)ノ」的態度で表現者としての自分を貫いてきた

ところが挙げられると思います。

2人ともとても熱心なファンが多いですがその尖った存在感ゆえに「光あるところに必ず影あり」アンチの数も一定数存在します。

自分の表現したいお笑いは―自分の表現したい歌は―――表に出すことで誰かを傷つけることがあるかもしれない。こんなことを表現をしたら頭がおかしいって思われるかもしれない

2人とも今までに幾度となくそんな葛藤を心の中でしながらもどうしても自分の中に表現したい世界観があるからこそ自分が返り血を浴びる覚悟をして表現者として自分の道を歩んできたんだと僕は思うんですよね。

2人ともこういった過程を何度も経て自分が関わるヒト・モノゴトについて徹底的に考え抜いたり葛藤を乗り越えていく中で表現者として独自の人生観・人生哲学 =表現者としての自分軸が形成されてきたのではと僕は思います。

2人とも表現者としての自分軸が確立出来ているからこそ、時には業界のルールや慣習に折れなければいけないような場所でも「ここまでは負けられてもこっから先は折られへん」て感じで無駄に自身の美学を消費しすぎることなく戦い続け結果を出してきたのではと僕は思っています。

ここまで松本人志さんと椎名林檎さんのお二人を出してお二人の表現者としての自分軸が形成されてきた過程についての僕なりの考察をお話ししてきました。

ここでもっとわかりやすく一般の方の目線でお話しします。

例えば一般のサラリーマンさんの会社の飲み会の席でのシチュエーション

定例的な季節柄の会社の飲み会の場で中山係長(36歳 通称ナカちゃん)は自分の空いたグラスに手酌でビールを注いでいた。

そこで同じ係の新人女性社員が「係長すいません!気が利かなくて!」とナカちゃんのグラスに冷えたビアを注ぐ。

ナカちゃん「おっ!悪い、すまんねえ」とビアを注いでもらいながらフと考える。

以下ナカちゃんの脳内会話

「ウチの会社の飲み会では自分が入った頃から新人の女性社員がお酒を注いで回るのが当たり前に行われてきたけど、今の時代にこれでいいのだろうか」

「ウラ若き新人女性社員がお酒を注いでくれるのは嬉しいけど、今の時代我々が当たり前のようにそれを甘受するのはちと違う気がする」

「ウチの会社は古い会社だから体育会的な気質が強い。だからこういった場では新人女性社員が率先して気を遣うのが当たり前だという空気が良くない伝統として今まで残ってきているんだよな」

「これからの時代はむしろオレ達管理職が率先して気を配って若手にお酒を注いだり、ざっくばらんにウエルカムなムードを作っていくべきじゃなかろうか」

「でもオレが率先してそんな動きをしたらオレだけスタンドプレーしたみたいな感じになって悪目立ちしたり、自分より上の管理職から咎められたりすっかな」

「でもこんな昭和時代のオヤジ達だけが喜ぶような飲み会の空気ってもう自分自身も疑問に感じるし心から楽しめないんだよな」

「ええい!いつまでもグチグチ考えててもしゃあない!行ったろ!」

「課長!もう我々管理職が若手に酒入れてもらうのふんぞり返って待ってるのは時代遅れですよ!むしろ我々が若手に注いで回って若手のモヤモヤを聞いて回りましょう!」

そしてこの夜を境にナカちゃんの部署は活発に管理職と新人の意見交流が交わされ奇跡のV字回復をしていくのであった……ナカちゃんの栄光第24話 完

……とこんな感じで小芝居をうってみましたがこんなふうに世間や自分の属する組織の中で当たり前とされる常識・習慣・ルールに「みんな当たり前のように従ってるけどなんで?」と疑問を感じたら

・なぜ自分はそのことに疑問を感じたか 

・そもそもその常識・習慣・ルールが生まれた背景は何だろうか 

・今その常識・習慣・ルールに自分が従うことで得るメリット・デメリットはなんだろうか

こんなことを自分なりに徹底して考えて答えや候補を出したうえで自分の意志で選択・決断していくことが

自分なりの人生観・人生哲学の形成=自分軸の形成

につながっていくものだと私は思います。

上記の例は自分の所属するコミュニティの慣習・ルールについて疑問に思ったことを例として話していますが、友人関係や恋愛関係でも自分が「なんで?」とか「なんかそれっておかしい気がする」と少しでも疑問に感じたことはそのことについて徹底的に考えて自分なりの答えを出したうえで自分の意志で選択・決断していくことが 友人関係や恋愛関係における自分なりの人生観・人生哲学の形成=自分軸の形成 につながります。

例えば友人関係の例で言えば友達にお金を貸したけど戻ってこなかった。もうこんな悔しい思いをしたくないからこれからは友達からお金を貸してくれと頼まれてもキッパリ断るかどうしても助けてあげなかったら見返りを求めずあげてしまおう!と自分の中で取り決め、それを今後の人生で実行していくことだったり

恋愛関係で言うなら彼に対して尽くしすぎて自己犠牲的になって別れてしまった。終わった後で2人の関係性を反省してみたところ彼は私がしてくれたことについて感謝の言葉をくれず、してもらって当たり前のように受け取っていた。

このことを機にこれから私は自分自身を大切に扱っていくうえで「ありがとう」と「ごめんなさい」をしっかり言えない人と関係性を持つのは時間の無駄だから関わらないようにしようと心に決めていくというようなことです。

ちなみにコレを書いてる美片自身もありがとうとごめんなさいをしっかり言えない人と関係性を持つのは無理っスね(;´∀`)そもそもありがとう・ごめんなさいを言うべき時にちゃんと言えない人って関わっても会話の内容が愚痴や他人をこき下ろすようなしょーのないことばっかりだったりする傾向が強いので関わるだけ時間の無駄っす。

話を戻すと上記の具体例のようなことを繰り返して 自分なりの人生観・人生哲学の形成=自分軸の形成 をしていくことは人と関わっていくうえでの線引きを明確にしていくものでもあります。

先ほど言った 「ありがとう」と「ごめんなさい」をしっかり言えない人と関係性を持つのは時間の無駄だから関わらないようにしよう!ということも予め自分の中でそういった取り決めをしていればもしそんなヤツが近づいてきても

「こんなクソと関わるだけ時間の無駄だわ、さいなら~( `ー´)ノ」

と立ち去ることが出来るのです。

逆に言うと自分軸の確立=人と関わっていくうえでの線引きをハッキリさせておかないと

自分軸で生きていくぞ!( `ー´)ノと心の中で強く思うだけではいい顔して自分に近づいてきたクソの侵入をついうっかり許してしまったりするのです(;´・ω・)くまったくまった

クソに限って自分を良く見せたり自分のことをかまってくれないアナタは冷たい人だとこちらの罪悪感を煽るような接触をしてきたりしますしね。

うっかりクソの侵入を許してしまい自分の感じている不快な気持ちを取り除くことよりクソに自分の気持ちをハッキリ言う(クソをはっきり拒絶する!)ことをしたらクソからワルモノ扱いされるのかな(;´∀`)と気にしてしまう状態は他人軸な状態ですからね。

ここでまとめに入ります

自分軸を形成していくうえで大切なことは日々の生活や対人関係の中で感じた疑問や違和感・不快感等を“みんながそうやってるから”とか“それが当たり前だから”とか“それが常識だから”とか“こっちが我慢すれば収まるから”みたいな感じに自分で自分を無理やり納得させないことが大事なんです。

逆に言うと上記のように自分の中に違和感を感じても世間でいう常識や他人の視線を気にして無理やり自分を納得させて考えることを放棄してしまうことを

思考停止

と言いますし、それが自覚無しに習慣になってしまうことは

他人軸で生きること=自分より他者の視線を優先している状態

に繋がります。

なので自分軸で生きていこうと思った時にすべきことは、自分軸でいこう!と心の中で強く念じることではなく、自分の中に生じた疑問や違和感・不快感を無視せず 徹底的にそのことについて向き合い考えて自分なりの答えを出していくことなのです!

考えに考えて出した自分なりの答えが増えていくほど自分軸が形成されていき、人と関わっていくうえでの線引きもハッキリしていきます。 そのことが自分を大切に扱うことにもつながっていくのです。

なぜなら自分で自分を取り扱ううえでのトリセツを作っていくようなものだからです(*‘∀‘)

こんな感じで今回は自分軸について自分なりの解釈や自分軸で生きていくための具体的な方法について掘り下げてお話ししてみました。心理系のブログで自分軸という言葉は頻繁に見られるけど意外と「自分軸とはなんぞや?」ということについて語った記事は目にしないなと思って書いてみました。

お役立ちいただければ幸いです(*‘∀‘)