【自分に自信が持てない】依存と自立【生き方相談】

無料相談サイトである「ココロノマルシェ」

の相談に応えてみました。

今回のご相談は自分に自信が持てなくてなにをするのにも不安がつきまとうという生きづらさを抱えた相談者様からのご相談です。

ちなみに僕も自信ないです。元々心の病気が元で周りと上手くコミュニケーションとれなかったから今でも全然友達いないし、かつぜつわるいしすっとろいし、ADHDのグレーゾーンだし、カウンセラーとしてもまだ稼げていないしで社会のはしっこの存在って感じっすネ。

ただそんなオイラでも自分の興味のあること(心理学)にのめり込んで自分の成長が感じられるとちょっとづつ「オレもまぁそんなわるくないやん」と思えてくるもんなんですよね(・∀・)

以下相談者様からの相談文

依存と自立

相談者 がーすーさん

タイトルの件ですが
私は自分に自信がありません。
自信が湧いてこない為、何をするにも不安がつきまといます。
特に対人関係が苦しいです。

嫌われないようにする為なのか
人前では異常に緊張し、自分が何を話しているか分からなくなったり
相手の話が頭に入らないほどです。

また、自信がないからか
他人の評価に依存しています。

だから、出来る自分に依存し、他人の評価を得ることに依存しているような感覚です。

物への執着も強いと思います。
これも、自分に自信がないから、身の回りを自分をよく見せる為の物で埋めようと依存している感じがします。

きっかけは分かりませんが
自信がない部分は

中学時代にいじめにあったことなのか、
お恥ずかしながら、小学生の頃に万引きで捕まり、両親に怒られて以来、両親に怒られるのが怖くて、上手く親子の関係を築けなかったことなのかなぁと、なんとなく思っています。

自分は、自分が出来るようになること、一人前になること、しっかりすること、男らしくなることを自立だと思っていましたが、それが実は依存だったのかなぁと思ったりしています。

自分には、自立が必要なのか、人を頼る、人を信頼する意味での依存?が必要なのか分かりません。

まとまりが悪くすみませんが
宜しくお願いします。

33歳 男

以下美片からの回答文

がーすーさんこの度は勇気を出してのココロノマルシェへのご相談ありがとうございます。皇居のお堀りの中を泳ぐミドリガメのようなカウンセラー“美片 たかひろ”が回答させていただきます。

がーすーさんからの相談文をザッと読ませていただいてとりあえずザックリ答えさせていただくと、

相談者様は自分で自分がイマココにいることに対して“おっけーまる!”を出せていないのかな

と感じました。

自分で自分におっけーまる!を出せないから周りの人達の目に適うことにより自分のことをおっけーまるな存在だと思い込もうとしてきたのかなと思います。

そんなふうに周りの人達の目線や価値観に侵食された生き方をしていたら“自分で生きてきた”という実感が薄くなってしまうのです。

薄薄なのはコンドームだけでいいのです(・∀・)←だまれ

というわけででは、どうやって自分で自分の人生を取り戻していくか、ということについて書いていくのでよろしければお付き合いくだされ☕

と、ゆーーーわけでここから相談文を読ませていただいて特に気になった箇所についてお話ししていきます。

〉タイトルの件ですが
私は自分に自信がありません。
自信が湧いてこない為、何をするにも不安がつきまといます。
特に対人関係が苦しいです。

▶特に対人関係が苦しい、とありますがひっくり返して考えると対人関係、すなわち人と関わることに関して「自分が相手にどう思われているのか」ということを過剰に気にしすぎてしまうことから、気持ちがいっぱいいっぱいになってしまうトコロから派生する苦しさなのかなとお察しいたしました。

言い変えると意識が過剰に“自分が社会的にOKな存在であるのか、NGな存在であるのか”というトコロに向きすぎてしまっている、ということでもありマス。

〉嫌われないようにする為なのか
人前では異常に緊張し、自分が何を話しているか分からなくなったり
相手の話が頭に入らないほどです。

▶この記述から読み取れることは、“嫌われないようにする為”という言葉が出てくるということは相談者様の目線で見ると、周りの方達は相談者様の言動をチェックして目ざといものを見つけては毛嫌いしようとしているように見えているのかな、と感じました。

だとしたら、日々、敵に囲まれた戦場の中で生活していくようなものなのでココロが休まる時などありませんよね。

表面的には穏やかな人たちに囲まれていても、周りの人達に対して自分の言動の至らない点をめざとく見つけてはボスに報告しようとするスパイなのではないかと思いながら接しているのでしたら過度な緊張も頷けるなと思いました。

ちなみに過度の緊張状態ということは副交感神経より交感神経のほうが優位な状態

ということになります。

このことについて簡単に説明すると交換神経が優位な状態=神経が逆立ってる戦闘状態、副交感神経が優位な状態=リラックスした休息状態、周りの情報を冷静に受け止められる状態

です。

例えば目の前にライオンがいる状態でしたら一瞬、一刻の判断ミスが命取りとなる過度な緊張状態(交感神経が優位な状態)となりますし、食欲がわいたり、便意を催すのって会議が終わってほっと一息ついた時のように適度に気が緩まった時(副交感神経が優位な状態)ですよね。

ちなみに初めて行ったホテルや友達のウチで寝付けない時ってのも“枕が変わって寝られない”なんて表現をしますが慣れない環境で気が立ってしまい(交感神経が優位になってしまって)寝付けないということです。

なので過度な緊張に対する対処療法としては普段から副交感神経を優位に働かせるトレーニングを積むとよいかと思います。

副交感神経を優位に働かせるトレーニングとしては腹式呼吸がキキます。

詳しくはこちらの記事を参考にしてみてください。

〉また、自信がないからか
他人の評価に依存しています。

だから、出来る自分に依存し、他人の評価を得ることに依存しているような感覚です。

▶相談者様もご自身でわかってらっしゃると思いますがこの状況は一言で言ってしまえば“他人軸”になっている状態になります。

他人の評価に依存してしまう、ということは逆に言うと自分自身でイマココにいる自分に対しておっけーまる(・∀・)を出せていない

ということが言えると思います。自分で自分におっけーまる!を出せないから他人からおっけーまる!を出してもらおうとすることに意識が囚われすぎてしまっているのかなと思います。

これだけ頑張ってるんだからオレのことを認めてくれ!ここに居てもいいって言ってくれ!という意識が頭の片隅にあったりするのかな。

自分の頑張りと交換に他者からの承認を得ることを目標に頑張りすぎてしまうと他人の目に右往左往してヘトヘトになってしまうのです。

なぜなら他人からの評価ってその時のその人の気分やその組織の環境における空気感に左右されるものでもあり、自分のことを評価する他人もまた結局一番気になるのは他でもない自分のことだったりするからです。

〉物への執着も強いと思います。
これも、自分に自信がないから、身の回りを自分をよく見せる為の物で埋めようと依存している感じがします。

▶モノへの執着というと男性でしたら洋服、バック、時計に車、スニーカーあたりですかね。

男って時計だったら時計、車だったら車、ブーツだったらブーツ等自分がコレ!と思ったモノにはお金と時間、手間暇をコスパ考えずにぶっこむ生き物ではありますが“その意識が健全かどうか”ということになると自分自身がワクワクできるかどうかだと思います。

自分の保身のためにドラクエで言えば一番高い装備から順にお金を貯めて購入していく作業のように感じながら身の回りの物を購入していっても心の中のすきま風が止まることはないかなと思います。

〉中学時代にいじめにあったことなのか、
お恥ずかしながら、小学生の頃に万引きで捕まり、両親に怒られて以来、両親に怒られるのが怖くて、上手く親子の関係を築けなかったことなのかなぁと、なんとなく思っています。

▶いじめのことについては詳しい状況がわかりませんのでなんとも言えませんが、万引きの件に関しては万引きをする前から相談者様と親御さんの心的な距離感などから相談者様を万引きに駆り立てるようなスキマ風がこの頃から心の中に吹いていたのではないかなぁと察します。

怒られて以来怖くて上手く親子関係を築けなかったとありますが、怒られる前からひょっとしたら親御さんからきちんと目をかけてもらえていないと感じるような心の距離感があったのでは、と察します。

カウンセリングの場などできちんとお話を聞かせてもらわないとわからないことではありますが、相談者様が丁寧に過去を振り返り確認していくことで消化されていく未処理の感情があるように感じます

〉自分は、自分が出来るようになること、一人前になること、しっかりすること、男らしくなることを自立だと思っていましたが、それが実は依存だったのかなぁと思ったりしています。

「自立」ということについて僕の考えを言わせてもらうと、自立とは「自分の生きたいように生きてその人生の責任を自分で持つこと」だと思います。

要は自分のケツは自分で拭けるようになるってことですね(‘ω’)

細かく言うと経済的な自立とか精神的な自立等あるのですが、端的に言ってしまうとこういうことになるかと思います。

人は勇猛果敢に賢く朗らかに生きる権利もあれば愚かしく卑屈にネチネチと生きる権利もあるのです。どんな生き方を選択するのもその人の自由なのです。

そして自由だからこそ、その生き方によって得た結果が自分にとって例え理不尽なものであっても「他でもないオノレが引き寄せたモノとして粛々と受け止める」

こうした生き方の態度が精神としての自立のカナメなのではないかなと僕は思います。

相談者様の話に戻しますと「自分は、自分が出来るようになること、一人前になること、しっかりすること、男らしくなることを自立だと思っていましたが、それが実は依存だったのかなぁと思ったりしています。」と思ってしまうということは

“しっかりした一人前の男だと周りから承認されることで“キミはココにいていいんだよ”という許可を得ようとする心の前提があるのでは、と思います。

もしそうだとしたなら自分で“イマココにいる自分におっけーまる!”を出せないから周りの人に“一人前の男”と認められることで自分がおっけーまる!な存在だと思い込もうとしてきたのではないかなと思います。

簡単に言うと自分で自分のことを認められないから周りの人達の目に敵うことで自分の存在を認めてもらおうとしてきたということになります。

こういった態度で生きていくとは相談者様の自覚があるとおり、表面的には自立しているように見えてその裏の精神的な態度としては依存的であると言えます。

要は自分で拭けないケツを周りの人達に拭いてもらおうとしてきたってことですからね。

たぶん相談者様は“自分で生きてきた”という感覚が薄いのではないかな、と思います。

今までの人生の選択、“なんの部活に入るか”“仲間たちとごはんを食べに行った時になにを選ぶか”“どんな学科を専攻するか”“どこに就職するか”等の人生の選択について“自分の意志で決めた“”というより周りの空気感や目線、社会的にOKかNGかといった他者の価値観に侵食されすぎてきてしまったのかな、という感じがします。

ではどうやって自分で生きていく感覚を取り戻していけばいいかというと

まずは簡単で続けられそうなものから自分で興味があるコトにチャレンジしていくことから始めてみてはどうかと思います。

例えば“めだかを飼ってきちんと世話をする”でもいいし“ボクシングジムに週1回以上通い始める”でもいいと思います。

そうやって自分のやりたいことにチャレンジして自分なりに成し遂げたという実績作りから始めてみてはよいのではないかと思います。

自己肯定感とは、自分のことをどれだけ信頼できるかということでもあるのでまずは身近なことから自分で自分のことを信頼出来るための実績作りから始めるのがよろしいかと思います。

起業CMなんかでよく「信頼と実績の~」なんてフレーズを耳にしたことがあるかと思いますが、企業でも信頼できるだけの実績があるからこそ信頼されるのとよろしく自分自身のことも信頼出来る実績があるからこそ信頼出来るのです。

例えば甲子園球児がみんなイキイキとして自己肯定感高そうに見えるのは自分の好きなコト“野球”打ち込んで甲子園出場という実績を作ることが出来たからという側面があると思います。

なのでまずは身近な自分の興味のあることからチャレンジしてみることから始めてみてください。

まずは自分の自分の気持ちに従って小さな一歩を踏み出しましょう!(*‘∀‘)

そこから先の自分との向き合い方に迷ったりや自己受容をどう進めていけばいいかということに関してはカウンセラーに相談することを検討していただくのも良いかと思います。

お役立ちいただければ幸いです。